京都・奈良旅行⑭興福寺と新薬師寺

旅行日 2019.09.29(日)

昼食の後は、興福寺の国宝館へ。
東京に来た阿修羅像を見損なったので
今回は、これが目的。
中世的で、端正なお顔立ち。スレンダーで凛としていました。
東金堂も共通券で入場。
近くに五重塔もあり、見ごたえあります。
興福寺は、数々の火災にあって再建されていますが、
最古の建物は八角形の北円堂と並び、三重塔です。

高さ19mと小ぶりながら、
優美な感じです。
年に1回、七夕の日に、特別公開されるそうです。
メインからは、少し離れたところにひっそりとあるので
見過ごされがちです。

友人とは、ここで、お別れ。
私は、夜行バスなので、もうしばらく時間の許す限り観光します。

ぐるっとパスを使って高畑駐車場まで、
そこから、徒歩で新薬師寺を目指します。
徒歩12分ほどです。

南門の入口で拝観料を払い、中へ。

本堂の正面左側から入ります。

堂内は撮影禁止。
本尊の薬師如来さまは、
丸顔の大きな目で、
親しみやすいお顔立ちの座像です。
そして我が国最古最大の十二神像が、周りを取り囲むように
配置されています。
平面的に横に配置されているのはよく見ます。
興福寺の12神像も横並びでした。
が、こちらは、ぐるりと取り囲んでいます。
一周できます。
ごくわずかですが、部分的に彩色が残っています。
正面右の伐折羅(バザラ)大将の当時の彩色が復刻したものが
右手前に展示してあり、みごとに鮮やかな色彩に目を奪われました。
ちなみに、廃止になった500円切手にもバサラ大将のお顔が採用されています。

4月8日に修二会があるらしく、神秘的で素晴らしいと聞いています。
生の雅楽演奏もあるそうです。
桜のころと相まって、次回、行きたいと思いました。

新薬師寺薬師寺

歴史  薬師寺と新薬師寺

薬師寺藤原京奈良県橿原市)にあった本薬師寺(もとやくしじ)が
平城京遷都に伴って今の奈良市西ノ京町に移転したお寺です。
680年に40代天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を願って創建されました。

一方、新薬師寺は、
747年、45代聖武天皇のお后の光明皇后
天皇の病気平癒のために建てたと言われています。
新は「あたらしい」ではなく「あらたかな」という意味だそうです。
743年大仏造営の発願をされ紫香楽宮滋賀県信楽)で着手されましたが
745年に山火事や地震が頻発し
中断して、天皇平城宮へ戻られました。
大仏造立は、のち、今の場所で再開されましたが
天皇ご自身は、体調をくずされました。
そこで、薬師悔過(やくしけか)が行われ、
これをきっかけに新薬師寺が造営されました。

また、別の伝承では、聖武天皇光明皇后の眼病平癒を祈願して、
745年に建立したとも伝えられています。
薬師如来の目が大きい理由ともされています。

また、梅原猛著の「塔」では、
光明皇后の寵愛を得た不倫相手の玄昉は
聖武天皇の病気を契機に皇后が懴悔し、
大宰府に飛ばされ、
縁を切られたことになる。
その懺悔の証が新薬師寺建立であるといわれ、
玄昉は、1年後に死んでいる。
その首が興福寺南院に落ち、
鎮魂のために土塔が建てられたという。
玄昉は当時、最大の力を誇っていた興福寺の僧であり、
それよりも上に位置づけされる東大寺が建立された訳の1つであるという。
その後も、奈良の仏教界はスキャンダルが続き
それを嫌った50代桓武天皇平安京遷都につながる。

と、いろいろな解釈がありますね。
はるか昔の事なので、真実はいかに。

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