京都・奈良旅行⑫東大寺

旅行日 2019.09.29(日)

JR奈良駅西口から、ぐるっとパス奈良公園ルートで東大寺の大仏殿前駐車場へ。
土日、15分間隔で運行していて1乗車100円です。
平日は、大宮通りルートだけですが
土日は3ルートあり、バスの現在位置情報もわかるので、奈良観光に便利です。
詳しくは
https://onigiriface.com/nara-gurutto-bus.html

15分ほどで到着です。
バスを降りると
いきなり、鹿たちのお出迎え。
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うようよなんて言葉は神様のお使いと言われている鹿さんたちには
失礼かと思うのですが
おびただしい数です。
以前、安芸の宮島で、無防備にA4のメモ書きを手に持っていたら
つかつかとまっしぐらに寄ってきて
持っていかれそうになり、攻防して、一部食いちぎられましたが
死守したのを覚えています。
すごい力だったので
今回は、注意してバックのファスナーもきっちりと閉め
隙を見せないように進みます。
やられてる人もいました。
でも、かわいいんだけどなぁ。
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コロナ禍では、観光客が減り、
もらえるエサも少なく
一時期、狂暴化したという話も聞きました。

南大門はすぐ。
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さすがにでかい!
我が国最大と言われているだけあって、幅29m、高さ25.46mあります。
ちなみに2位は知恩院で高さ24m。
ちなみに今回の京都立ち寄りの、南禅寺三門は高さ22mでした。
752年(推定)創建時の門は、平安時代962年に台風で倒壊し
現在の門は、鎌倉時代1199年の再建で、国宝です。
同じく1203年に再建された運慶快慶の金剛力士像は、
向かって左が阿形、右が吽形で、
一般的な安置形式とは左右が逆です。
これまた、すごい迫力です。
また、外からは2階建てのように見えますが
中はがらんどうで横板などがありません。
鉄骨の骨組のように荒々しく見えています。

さらに進み、鏡池を右に見ながら大仏殿へ。
正面の中門からは入れないので、
左に進むと入口があります。
トイレはここですませておきます。

屋根付きの回廊を進み、大仏殿へ。
けっこう歩きます。
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いよいよ、大仏様にお目見え。
鎌倉の大仏(阿弥陀如来)は、見慣れているのですが
奈良の大仏は、廬舎那仏で、印相(いんそう:手の組み方)も違い、屋内(鎌倉も以前は大仏殿があったのですが津波で流された)で光背もあるので
違いますねえ。

正面から、真横、後ろとじっくりと回ります。
金色の光背の厚さもすごい。
北東の柱に穴が開いています。
修学旅行の時、代表1人が通ってました。
大人になったのかなぁ、やけに穴が小さく感じられます。
本当に通れるのかと不安に思うぐらい。
でも、ひっきりなしに多くの人がトライしています。
穴の大きさは大仏様の鼻の穴と同じ大きさと言われていて、
くぐると無病息災のご利益があると言われています。
こんなおばちゃんが挟まって出れなくなったら大変なのでトライはしませんでした。
臆病者っす。

大仏様を後にして
鏡池を東に進み、手向山(たむけやま)八幡宮のほうに向かいます。
昨日のボランティアのおじいちゃまが
校倉(あぜくら)造りが見られるよと
教えてくれたのです。
正倉院まで行かずともみられるとは。
御髪塔(おはつとう)と書かれたところのすぐ横です。
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法華堂経庫です。
木組みの仕組みがこんなに気軽に見ることできるなんて、うれしい!
柱を使わず、三角形の木材を井桁(いげた)に積み上げて壁になっています。
あぜくらづくり、恐るべし。

そのまま、坂を上り、2月堂へ。
かの有名な「お水取り」があるところだよね。
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写真の左は良弁杉  
東大寺を開山した良弁僧正が赤子のころワシにさらわれ、
杉の木に引っ掛けられていたところを助けられたいう言い伝えがあります。
お水取り(修二会)は、752年、良弁僧正の高弟の実忠により始まったと言われています。
実忠は、頭塔を改修したことも⑩で、お話しました。

向かって右の階段から上ります。
あとからわかったことなんですが
石段には、文様のある部分があって
流水、亀甲、唐草、青海波、網代、菱の文様のある石段があります。
次回は、注意してみようっと。
この石段を登り切ったところに
豪華な手水舎があります。
舞台に出られるので、進むと素晴らしい展望です。
夜もopenしていて夜景が見られるらしいです。
提灯が並び、お水取りの松明を想像したら
感激でした。
堂内には茶屋があり、お茶の無料セルフサービスがあります。
結構、暑かったので助かりました。
腰かけてまったりできます。
以前のお水取りで使用された大きな松明が展示してあります。

しばらく休憩し、お堂を突っ切るようにして
反対側の出口を進むと登楼です。
これまた、お水取りの時、駆け上がる様子が連想されます。
屋根もあり、水辺が近いのか、涼しく感じられます。
出口付近で、鹿が何か食べていました。
近づいても、逃げる様子もなく
おどおどすることもなく
日常のようでした。
道なりに進み登楼を出ると
阿加井屋があります。
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若狭井の刻印が石に刻まれています。
お水取りの3月12日の深夜、本尊に供える香水を
ここから汲み上げます。

二月堂を後にして、
三月堂(法華堂)や四月堂(三昧堂)があることに
びっくりしながら、
ちょっと迂回しながら、自然を散歩しながら下ります。
緑豊かな場所でした。

ここで、ちょっと、東大寺の歴史について自分なりの解釈しておきます。

45代、聖武天皇(在位724-749)の時代は天然痘の流行や飢饉、大地震など災難の連続でした。
728年、聖武天皇の1歳に満たない皇太子がなくなった菩提追修のため、
金鍾寺(こんしゅじ)を立てる。これが東大寺の前身になる。
数々の災難を仏教の力で消滅させようと741年に国分寺国分尼寺の建立の詔を出しました。
良弁(ろうべん)が進言し、その総本山として東大寺が造営され、
本尊として大仏が作られることになりました。
聖武天皇は「一枝の草、ひとつかみの土」の助援を呼びかけ、国民の結縁を求め、
助力によって完成しようとしました。
行基が全国を行脚し、大仏建立の意味を説き、
多くの方の物資や労力を集めました。
実に多くの人々が建立に携わったと言われています。

1180年の源平合戦、1567年の応仁の乱で焼失しています。
現在の大仏殿は、
1709年の再建のものです。

さてと、歴史の話はこれくらいにして、終わります。


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